佛性論(26)巻第一      天親菩薩造 真諦訳

        破執分第二中破外道品第二

 

 

 相続して渡らざるが故に。相続するが故に断にあらず。渡らざるが故に常にあらず。

この義を以っての故に一にあらず異にあらずして断常の見を滅ぼすなり。世間に随うが故に亦一異を説く。

 

 また次に汝、能量、所量の二法成就すれば、ゆえに諸法各自性有るが故に空にあらざると説くは、この義然らず。何を以っての故に。

 量、自ら依り生ずるが故に、境の所量を縁ぜずして能量の智の自ら成ずるは、この處有ること無くして、既に所量無ければ能量の名を何に対して立つるや。即ち量、何の所量と為るや。

佛性論(25)巻第一      天親菩薩造 真諦訳

         破執分第二中破外道品第二

 

 

 また次に、自性各々自ら同じからずして相い壊れるが故に。

譬えば事を作すに後に事成し終われば、前の事即ち壊れるが如し。火の水の為に滅するが如し。

 若し一切の法に各自性有らば何ぞ能く相い滅するや。

 汝、若し自性無ければ即ち火と薪と異なるを得ざると説くは、この義然らず。何を以っての故に。

 能く異ならざる所の多くの過失有るが故に。若し一と異ならざれば、何ぞ能く火と薪の二物の有るや。

 亦可なりと説くと言えば、薪の能く照らすと為すや、火の照らす所と為すや。若し爾らざれば即ち汝の義の本より立てる一は成ぜざるなり。

 外に曰く。汝火の一異を離れるを説かば、如何が火より因縁の生ずるを説くのや。

 内に曰く。薪の中の色等の五塵、これ時に薪を成ぜざるが如く、即ち一時に並びに熱性を成ずるが故に、四大四微等の八物皆一にあらず異にあらざるなり。

 若し冷熱等の八物一異なりと言わば、この義然らず。何を以っての故に。

これ一ならば冷應に熱に至るべし。即ち常見に堕す。異なると言わば、空を聞きて而も生ずるは即ち冷を縁じて熱を生ずる断見なり。故に異ならば應に八火有るべく、火に八火有らば、一火の生ぜざること並びに前に説くが如し。

 この故に諸法悉く縁に依りて生ずるなり。何を以っての故に。

佛性論(24)巻第一      天親菩薩造 真諦訳

        破執分第二中破外道品第二

 

 

 汝の説く証量いかにも成ずるは、この義然らず。何を以っての故に。

 今我が立てる証量、二空を顕了するは諸法空の故に自性不可得にして、幻事、幻物は証量を見るが如くなり。

 實有の如くにあらざる諸法を見ることも亦爾り。見る所の如くにあらざれども見る所有るは、実にあらざる體に由るが故に、証量に由ること有るにあらざるが故に、體無きに由ること無きにあらざるが故に、空の義成ずるを得れば証量を以っての故に仮に有ることを失なわざるなり。

 

 また次に一切の諸法、自性有ること無し。何を以っての故に。因縁に依りて生ずるが故に。

 譬えば火の他に依りて生ずること、薪を離れては見るべからざるが如し。亦蛍火の如き、若し火に自性有らば即ち薪を離れて空中に應に自ら燃えるべし。

 自ら燃えること有らば即ち應に燃具を離れて為に更に事を生ずべし。即ち火を用いるを有ること無くして事無きを成ぜん。

 一切の諸水の能く滅するにあらざる所、汝自性有るを説くが故にこの故に滅すべく、

自性無ければ幻の火を化すが如く實性有ること無ければなり。

 

 対治無きが故に水の能く滅するにあらずと説くは、この義然らず。何を以っての故に。

 汝を責めるに、此の火、本より性有ると為すや、是れ性無しと為すや。

本より性有らば、末も亦これ有り。本末既に有らば即ち應に是れ常なるべく、應に滅すべからざるなり。

佛性論(23)巻第一      天親菩薩造 真諦訳

        破執分第二中破外道品第二

 

 

 また次に破僧去の義を應に知るべし。

内に曰く。汝の義に云えるに、聲に自性有りて自性異ならざるが故にとは、この義然らず。何を以っての故に。

 若し聲に自性有らば即ち聲應に耳の為の本なるが故に。

聲これ耳、耳即ちこれ聲と説けば、説くべき自性は即ち聲にして聲は即ち自性なり。

耳即ちこれ聲なるを許さざれば、亦汝の聲即ち自性なるを許さざるなり。

汝、聲はこれ聞かれるものにして耳は爾らずと説くは、この義然らず。何を以っての故に。

 汝の聲、耳と一と為るや異と為るや。

 汝、聲はこれ聞かれるものにして耳と異なると説けば、已に聞かれるが故に自性も亦異ならん。

 聲と耳と異ならざると説けば、何故に聲能く耳を聞くと説かざるや。

汝、得すること耳の如きと説くは、これ亦然らず。何を以っての故に。

 聲滅する時、耳も應に倶に滅すべし。聲、耳これ一なるが故に。

 耳、聲の一となる物の成らざる例の如く、余の成る、成らざるも亦爾るが故に知るなり。

諸法に決して自性無きことを、悉く皆これ空なることを。

佛性論(22)巻第一      天親菩薩造 真諦訳

         破執分第二中破外道品第二

 

 

 また次に倒の義の成ずるを得るとは、

汝、一の能く多を生ずると謂わば、我も亦多の能く一を生ずると言うなり。汝もし多の能く一を生ずるを信ぜざれば、我も亦一の能く多を生ずるを信ぜざるなり。

 

 また次ぎに汝の義の本壊れるが故にとは、

 汝の義に云わく、物、得、事等の三種有るは唯だ物の中に於いて得有り、事有りを説くべきも、得の中には更にまた得を立たざれば、汝今聲の得の中に数量の得あるを分別すれば、あに自ら本の執と背かざらんや。

 汝この数量はただ名句味に依りて聲には依らざること、譬えば劫の来りて屋を焼くが如くは実は是れ火の焼くがごときにて、火と劫の相応するを以っての故に、これ劫の焼くには非ず、火に由り劫に依るが故にて、故に劫の焼くと言えば数量も亦爾れば実にこれ名句味の家得にて、此の名句味、聲と相応ずるが故に数量の得を聲に依りて説くが故に、我が義の本を失わずと説くは、この義然らず。何を以っての故に。

 名句味のみ根を得る所なるが故に。

 此の名句味、聲と為るや聲とならざるや。若しこれ聲ならば應に得有るべからずこと、諸得は無體なるが故に。

 若し聲にあらざれば、聲を聞くその時即ち應に得るべからずして、名句味と一時に得れば、如何がまた名句味等に数量有りて聲無しと言うや。

 故に知る、汝の義自ら本に背かんことを。

佛性論(21)巻第一      天親菩薩造 真諦訳

       破執分第二中破外道品第二

 

 

 若し多くの人共に聞かば、即ち因果一体を得ざるを知るなり。

 汝、多くの果有るは即ち多くの因より随い而も取りて生ずること、人の田中に種を散じるが如くに、人と田これ一にして而も種子衆多なれば生ずる芽等、亦少なからずして、亦一人の鼓を打つに、鼓の声衆多なるが如くが故に人間も亦多しと説くは、この義然らず。何を以っての故に。

 本取るべからざるが故に。

本已に自性有らば何ぞ現に見ると称え言うを得るや。鼓を打ち終るに因り、後に方に聞くを得るなり。

 汝、声の自性本より有るも、八種の不了に由るが故に未だ得ざるなりと説くは、この義然らず。何を以っての故に。

 近し遠し等と雖も亦聞くを得ざるが故に、本より自性無きを知るなり。

 汝一声転じて多声を作ると説くは、この義然らず。何を以っての故に。

 一と多の数相違するが故に倒の義應に成ずベければ、汝の義は本より壊れるべし。

 

 一と多と相違するに、汝の立てる義には声に三種有り。

一つ、ただ果と相違す。二つ、因と果と並んで相違す。三つ、ただ因と相違す。

 初刹那の声はただ第二刹那の声と相違し、最後の刹那の声はただ因と相違して、更に別の果有ること無し。中間の無数の声は前後相い望むに無量の因果有らば、自ら倶に相違すれば、この義を以っての故に、一声無量の声を生ずること、この義あるべからざるなり。何を以っての故に。

 一時倶に聞くが故に。

若し前後に多くの声を生ずれば、即ち應に前後に聞くべくも、前後に聞かざるは一時に倶に聞くが故に、一の声の無量の声を生ずるに非ざることを知ればなり。

佛性論(20)巻第一      天親菩薩造 真諦訳

       歯執分第二中破外道品第二

 

 

 また次に汝の難、即ち証と量の相違することにして、諸法に実の性無ければ即ち能所皆不可得にして、声の耳に至らず、耳の声を得るにあらざること、我現に耳と声の相対するを見るゆえに聞くを得れば、故に空にあらざることを知るというは、この義然らざるなり。何を以っての故に。

 この能所及び証と量の自性、皆不可得なるが故に。

 汝。自性に由りて成ずるを得るが故に空にあらざると言うは、この義然らず。何を以っての故に。

 此の自性、根塵の証量の中に於いて一異の有無等、皆不可得なるが故に自性成ずるにはあらざるなり。

 

 汝、多くの因に由りて成ずるが故に如何が不可得なるやと説けば、若し法に自性有らば即ち因に由らずして成ずるを得れば、已に物の成ずるに更に生を用いること無きが故なり。

 汝、多くの因に各々声の自性生ずること、譬えば鼓声必ず手桴等の因縁に由るが如く、此の手等の各自分に随いて声の義を得ること有ると言うは、この義然らざるなり。

 何を以っての故に。

 前に自他等の四句の中に生を覓るも不可得なれば、性の空を以って顕れるに由るが故に、一の性成り立たざれば多くの性の如何が成り立つや。

 

 汝自性を立つれば、この因努めて立たざるなり。何を以っての故に。

自性自らこれ有らば、何ぞまた因を用いるとせんや。

 汝、一果は一因に由りて成ずるを得、果は因を以って體と為すが故にと

説けば、爾らばただ應に一人のみ聞くを得るとなすなり。何を以っての故に。

一人鼓を撃つに由りて、ただ一人のみ聞くべくなれば余の人あに並んで聞くを得んや。