佛性論(20)巻第一      天親菩薩造 真諦訳

       歯執分第二中破外道品第二

 

 

 また次に汝の難、即ち証と量の相違することにして、諸法に実の性無ければ即ち能所皆不可得にして、声の耳に至らず、耳の声を得るにあらざること、我現に耳と声の相対するを見るゆえに聞くを得れば、故に空にあらざることを知るというは、この義然らざるなり。何を以っての故に。

 この能所及び証と量の自性、皆不可得なるが故に。

 汝。自性に由りて成ずるを得るが故に空にあらざると言うは、この義然らず。何を以っての故に。

 此の自性、根塵の証量の中に於いて一異の有無等、皆不可得なるが故に自性成ずるにはあらざるなり。

 

 汝、多くの因に由りて成ずるが故に如何が不可得なるやと説けば、若し法に自性有らば即ち因に由らずして成ずるを得れば、已に物の成ずるに更に生を用いること無きが故なり。

 汝、多くの因に各々声の自性生ずること、譬えば鼓声必ず手桴等の因縁に由るが如く、此の手等の各自分に随いて声の義を得ること有ると言うは、この義然らざるなり。

 何を以っての故に。

 前に自他等の四句の中に生を覓るも不可得なれば、性の空を以って顕れるに由るが故に、一の性成り立たざれば多くの性の如何が成り立つや。

 

 汝自性を立つれば、この因努めて立たざるなり。何を以っての故に。

自性自らこれ有らば、何ぞまた因を用いるとせんや。

 汝、一果は一因に由りて成ずるを得、果は因を以って體と為すが故にと

説けば、爾らばただ應に一人のみ聞くを得るとなすなり。何を以っての故に。

一人鼓を撃つに由りて、ただ一人のみ聞くべくなれば余の人あに並んで聞くを得んや。